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兼山湊跡 (可児市 兼山)

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 今日は風景の作品です。

 可児市兼山にある 「兼山湊跡」 です。
岐阜県史跡に指定されています。

兼山湊からは、室町末期(1530年頃)には既に川を使った運材をされていたようです。
木曽川水運は木曽谷木材の運送に利用するなど重要性は高かったのですが、戦国時代になると森氏の政治的軍事的な要衝ともなりました。
寛文5年(1665年)以来、尾張藩は木曽山林の経営を行い、錦織奉行所(現加茂郡八百津町)に木曽川運材を任せました。
これにより、尾張藩御用材、伊勢神宮遷宮御用材も錦織網場で筏組(いかだぐみ)してここを下ったようです。
錦織網場については以前、旧八百津発電所の取材時に少し触れました。

弘化元年(1844年)岩村藩松平氏は江戸御廻米もここまで馬で運び、桑名経由、江戸蔵屋敷まで船送りしたとされます。
また、兼山産の茶・酒・陶器類もここから大量に積出され、のぼり船からは塩・海魚・海藻・日用雑貨をおろし、中濃・東濃一帯に広く販路を持ちました。
この辺り一帯出船入船で賑わい、町筋には宿屋・飯屋・馬宿など船荷相手の店が軒を連ねていたようです。
私見ですが、だからこそ12月に取材した懸け造りの 「可児市戦国山城ミュージアム」 の様な、当時として立派な建物(今でも立派ですが) が建っていたのでしょう。
ちなみに、私が子供の頃には、三重県の桑名から行商の人が魚を売りに私の家にも来ていたことも覚えていますので、木曽川水運の名残だったのでしょう。

大正~昭和になり、ダム建設や陸運の整備によって船運は次第に衰退しました。
昭和14年(1939年)下流の今渡ダム(可児市)完成によって、一帯が湛水状態となり 「兼山瀞(かねやまとろ)」 と言われるようになりましたが、以前は瀬音の聞こえる急流だったようです。

石燈台は安全を祈願し船問屋が建てたもののようです。
(以上 出典・旧兼山町史)

 撮影作品ですが、兼山湊の石畳です。
奥の深緑色が木曽川です。
以前は急流だったとの事なので、石畳がさらに下まで続いていたのでしょうね。
ちなみに敢えて雨の日に撮影しましたので、石畳も石燈台も濡れてしっとりとした感じになっています。
でも当然ですが、石畳が濡れているので、何度も滑って転びそうになりました・・・。

次回は、2月14日にブログ更新の予定です。

使用機材:Nikon D4 24-70mm f2.8

パーミル フォトオフィス 写真家の林政司でした。
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プロフィール

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Author:パーミル フォトオフィス
岐阜県多治見市,可児市の出張カメラマン、パーミル フォトオフィス(写真家 林政司)です。
建築竣工撮影と経営者プロフィール・ウェディング撮影まで、人生の記念に向き合い、記憶に残す仕事をしております。日本建築写真家協会(JAPS)正会員

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