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日本橋 (東京都中央区)

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 今日は風景の作品です。
先月に続いて、またしても県外の作品になります。

 先日、東京まで出張しました。その際に折角なのでと、寄り道をしてここまでやって来ました。
勿論この橋を見るためです。
と、言うのは、この橋の建築に先月6月7日の幣ブログにも登場した 「妻木頼黄氏」 が関わっているからです。
この人物は、名前の通り、幕末に上総妻木藩の江戸屋敷で生まれ育ちました。明治期には明治建築界の三大巨匠の一人に挙げられ、日本橋や横浜正金銀行(現・神奈川県立歴史博物館)など、多くの建築物の設計を行いました。
因みに、上総妻木家は江戸時代に美濃(岐阜県)に存在した下郷妻木藩・上郷妻木藩とは元々親戚関係にあたるので、様々な関わりがあったことが記録として残っているそうです。

 この橋は明治44年(1911年)に竣工しました。(100年以上にわたって現役!)
江戸幕府の始まった1603年(慶長8年)に初代の日本橋が架けられてから、現在の橋が20代目になるそうです。
因みに、江戸時代の歴史として習った 「五街道」 の起点も全て日本橋ですね。
今でも、日本橋の中央には 「道路元標」 が埋め込まれているそうです。
(現行法では、道路元標は定められていないそうですが・・・)
平成11年には国の重要文化財に指定されていて、名実ともに 「日本を象徴する橋」と言えると思います。

 高度経済成長期の昭和38年(1963年)に、日本橋の上空に首都高速道路が架けられたため、景観が台無しなど、常に論争になっていましたね。
しかし今年になってから、首都高の老朽化対策として、この区間を地下化することが正式決定した、と発表されたのは記憶に新しいところです。

 因みに、橋に対して建築家の妻木頼黄(つまきよりなか)氏が、どう関わったのかには諸説あるようですが、一説にはデザイン装飾等の意匠に関わったようです。また、既に妻木氏としては晩年なので、巨匠として、後進の指導にもあたっていたのかもしれません。(日本橋竣工の5年後、57歳で死去)

 写真についてですが、この日は予報とは打って変わって晴天で、しかも暑い日でした。
日本橋川のほとりから美しいアーチ橋が入る様に撮影しました。
しかし、首都高の高架のせい!で、一番いいところが日陰で暗くなってしまっています。でも、道路の反射で高架橋の下が明るくなっていたので、これをアクセントとして使いました。
東京中心部(言い方が田舎臭いですが・・・)なので、ひっきりなしにビジネスマン達が通過していきます。でも、この橋の一角だけは緑も多く、時間が少しだけ・・・ゆったりと流れているような気がしました。

次回は、7月14日にブログ更新の予定です。

使用機材:Nikon D4 24-70mm f2.8

パーミル フォトオフィス 写真家の林政司でした。
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プロフィール

パーミル フォトオフィス

Author:パーミル フォトオフィス
岐阜県多治見市,可児市の出張カメラマン、パーミル フォトオフィス(写真家 林政司)です。
建築竣工撮影と経営者プロフィール・ウェディング撮影まで、人生の記念に向き合い、記憶に残す仕事をしております。日本建築写真家協会(JAPS)正会員

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